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イベントレポート!

福岡市博物館「侍~もののふの美の系譜~ The Exhibition of SAMURAI

【開催期間】 2019年9月7日(土)~11月4日(月・振休)
【会場】   福岡市博物館(福岡市早良区百道浜3丁目1-1)

【休館日】  月曜日 *月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館
【開館時間】 9:30~17:30 *入館は17:00まで
【観覧料】  一般1,500円(1,300円)、高・大生900円(700円)、中学生以下無料
       *( )内は20人以上の団体、満65歳以上、外国の方の割引料金
        (年齢や国籍を証明できるもの、学生証の提示をお願いします。)

 問合せ先:特別展 「侍~もののふの美の系譜~The Exhibition of SAMURAI」実行委員会 広報事務局(読売広告西部 内) TEL 092-741-9801
 詳細は・・公式Webサイトへ、ご参考・・福岡市博物館Webサイト

 

侍~もののふの美の系譜~

会場入口

サムライ、福岡に集結!

平安時代に発生した侍(武士/もののふ)は、軍事的な力量をたくわえ、幕府を開き、公家に代わって長く日本の社会を構築する担い手となりました。そして、戦闘を職能とする侍(武士)を象徴するのが、戦場における晴れ姿である甲冑と、その魂ともいわれる刀剣です。

武士が身にまとった甲冑・刀剣をはじめとする日本古来の武具は、単なる「戦いのための道具」の枠を越え、各時代における美術工芸品の粋であり、精神性を反映した美術品にまで昇華しました。日本文化の象徴として、海外においても高い評価を得ています。また、最近では「歴女」、「刀剣女子」というキーワードに象徴されるような歴史ブームのただ中におきましても、甲冑・刀剣は国内外から大きな注目を集めています。
 

侍~もののふの美の系譜~

数多くの刀剣が展示されている会場は圧巻

6割が国宝・重要文化財!

本展覧会では、武士が勃興した平安時代中期(11世紀)から桃山時代(17世紀初頭)に至る、約600年間にわたる甲冑・刀剣等の優品約150点によって、戦場における実用のなかで研ぎ澄まされてきた甲冑・刀剣の歴史的な進化を紹介します。
北は東北、南は九州まで、全国各地約50ヶ所の有名神社・旧大名家・博物館・美術館の名宝を一堂にご覧いただけます。

(展示点数:刀剣(約60口)、甲冑(約50点)、武装肖像・合戦絵巻、古文書など約150点。そのうち約6割が国宝・重要文化財。)
 

蒙古襲来絵詞(模本)上巻之上・下巻之上

蒙古襲来絵詞(模本)上巻之上・下巻之上 弘化3年(1846) 原本:永仁元年(1293)、東京・東京国立博物館蔵

戦いのスタイルの変化が、甲冑・刀剣のデザインの進化へ

平安時代半ば、古代の武器・武具に代わり、騎射戦に適した大鎧、徒立ち(かちだち)打物(うちもの)戦に適した「腹巻(右引合(みぎひきあわせ))」と反りと鎬筋(しのぎすじ)を有する「日本刀」が登場しました。

その後、甲冑と刀剣は、時代ごとの戦いのスタイルの変化の影響を受け、進化を遂げていくことになります。
 

紫韋威鎧

重要文化財 紫韋威鎧 鎌倉時代、山口・防府天満宮蔵


浅葱糸褄取威胴丸 兜・大立挙臑当・黒漆塗鎧唐櫃付

重要文化財 浅葱糸褄取威胴丸 兜・大立挙臑当・黒漆塗鎧唐櫃付 正長2年(1429)正月26日奉納、山口・防府天満宮蔵

大鎧・腹巻の登場

平安時代中期~鎌倉時代の戦闘では、騎乗し、弓で矢を射掛ける騎射戦が中心でした。矢を射る時に、体の左側面を敵側に向けるため、左の防御性を高める必要があり、そのため右側で着脱する右引合が用いられました。
騎射に適した大鎧の胴は、右側が大きく開いた本体と、開いた右側をふさぐ脇楯(わいだて)の2つのパーツから成っています。
騎射戦では、あらゆる方向に矢を放つため、胴の中で体を捻ることができるように、胴の腰回りは余裕が持たせてあり、裾が広がった形状になっています。

一方、徒立ちで打物(太刀・薙刀・槍など)を取って戦う従者は、腹回りを一続きでぐるりと覆って体の右側で引き合わせる「腹巻(右引合)」を着用しました。

紫韋威鎧(重要文化財)」は、弓射に適した鎌倉時代の典型的な大鎧。
また、現存する最古の「腹巻(右引合)」タイプの鎧である「熏紫韋威胴丸 大袖付(重要文化財)」も展示されます。
大腿部を防護するための草摺(くさずり)は、大鎧では前後左右の四間に分かれていましたが、「腹巻(右引合)」では八間に分かれました。これは、徒立ちでの戦いを考慮し、体へのなじみをよくするため。
簡便で、軽快なつくりのため、貴人が装束や大鎧の下に着ることもありました。

浅葱糸褄取威胴丸 兜・大立挙臑当・黒漆塗鎧唐櫃付(重要文化財)」は、大内盛見が足利将軍家から拝領した鎧を松崎宮(防府天満宮)の神事における随兵用として奉納したもの。

室町時代以降、実戦の場においての主流が、大鎧から「腹巻(右引合)」に変わっていっても、大鎧はもっとも格式の高い甲冑として位置づけられていました。
大鎧は「式正(しきしょう)の鎧」と呼ばれ、神社への奉納や、公式の場において用いられました。
 

紺糸威胴丸 兜・大袖・杏葉付

重要文化財 紺糸威胴丸 兜・大袖・杏葉付 南北朝時代(14世紀)、岡山・林原美術館蔵

騎射戦から徒立ちの打物戦へ

南北朝時代になると、鎌倉時代までの騎射戦主体から、大太刀や薙刀といった打物による徒立ち戦が重視されるようになりました。
徒立ち戦においては、騎乗での弓射に適した構造の大鎧は重すぎ、腰回りが広い形状は揺れ動きすぎるため、新しい甲冑の形が求められました。

紺糸威胴丸 兜・大袖・杏葉付(重要文化財)」は、兜と大袖が備わった高級品です。
軽快・軽量化と体への密着化、防護性の強化が進められ、胴回りも細くなったことが分かります。

*大袖とは、弓射の際に両手が塞がるため、敵の矢を防ぐ楯代わりになるもの。
 

白檀塗浅葱糸威腹巻 兜・大袖・小具足付<

重要文化財 白檀塗浅葱糸威腹巻 兜・大袖・小具足付 戦国時代、大分・柞原八幡宮蔵 

軽快な腹巻・胴丸の流行

南北朝時代以来、「腹巻(右引合)」に代わる下卒(下級の兵)の甲冑として流行した「胴丸(背中引合)」は、軽快なつくりであったため、上級武士の間でも用いられるようになりました。

白檀塗浅葱糸威腹巻 兜・大袖・小具足付(重要文化財)」は、大友氏が氏神の柞原八幡宮に奉納した「胴丸(背中引合)」タイプの甲(よろい)。
胴回りは一段と細くなり、伝統的な本小札を用いながら、表面は黒漆塗ではなく、金箔押しに透き漆をかけた白檀塗を施し、浅葱色に金色が映えています。
脇板や肩上にも、次世代の当世具足(戦国時代末期から桃山時代に成立する甲冑)の先行形態ともいうべき変化がすでに現れています。
 

鉄黒漆塗雪下胴 銘 雪下政家作/天正十六年八月吉日

鉄黒漆塗雪下胴 銘 雪下政家作/天正十六年八月吉日 桃山時代(天正16年(1588)8月)、個人蔵

一枚鉄で打ち出された究極の形

鉄黒漆塗雪下胴 銘 雪下政家作/天正十六年八月吉日」は、鉄の延べ板5枚を蝶番(ちょうつがい)で連結した五枚胴で、伊達政宗が好み、家中に広め、後に仙台胴とも呼ばれました。
蝶番の栓を抜くと解体してコンパクトに収納することができる構造です。
戦国時代になり、合戦に民衆が動員されるようになり、大量生産の必要性に迫られたため、このような簡便な甲冑が製作されましたが、鉄砲に対処すべく厚みが必要で重量があり、軽量化を指向した流れに逆行しました。
 

刀 名物 石田正宗

重要文化財 刀 名物 石田正宗 鎌倉時代後期(14世紀)、東京・東京国立博物館蔵
石田光成の所持刀。敵の刃を受け止めた大きな受け疵が残っている。


大太刀 銘 備州長船倫光/貞治五年二月日 朱塗野太刀拵付

国宝 大太刀 銘 備州長船倫光/貞治五年二月日 朱塗野太刀拵付 南北朝時代(貞治5年(1366)2月)、栃木・日光二荒山神社蔵
最も長い国宝の刀。


金霰鮫青漆打刀拵

国宝 金霰鮫青漆打刀拵 江戸時代後期(19世紀)、福岡・福岡市博物館(黒田資料)
信長が茶坊主を手討ちにした「刀 名物 圧切長谷部」の拵。

刀剣の進化

平安時代~鎌倉時代の日本刀の特徴は、手元近くで反る腰反りで、先に行くほど細身になる優美な姿を示し、反りと鎬筋(しのぎすじ)を有するという点です。
鎌倉時代末期~南北朝時代は、徒立ち打物戦が繰り広げられたため、大きな鋒(きっさき)に、刀身の中ほどに深いそりを設け、身幅を広げ、重ねを厚くしました。さらには、肩に担ぐような大太刀も流行しました。
その後、室町時代になると、長さが短く、反りの浅い打刀(うちがたな)が登場します。

太刀と打刀は、装着の仕方による違いがあります。
太刀は刃を下に向けて、腰に吊り下げたのに対し、打刀は刃を上にして左腰の帯に挿して装着しました。
作者名は装着したときに、外側の面に刻むことを基本としているため、その点を確認すれば、太刀か打刀かの区別がつくでしょう。
約50点の甲冑とともに、約60口もの刀剣の展示も圧巻です。

総長159センチの「大太刀 銘 備州長船倫光/貞治五年二月日 朱塗野太刀拵付(国宝)」は、最も長い国宝の刀。
その他、石田光成所用の「刀 名物 石田正宗(重要文化財)」や、黒田孝高(官兵衛)が朝鮮出兵のおり、家臣が虎を切った太刀「太刀 銘 備前国住義次 号 南山刀(重要美術品)」、織田信長が黒田孝高(官兵衛)に授けた「刀 名物 圧切長谷部(国宝)」など、所有者に物語性を感じる刀剣も多数展示されます。

貴方の自由な視点で、ご覧ください。
 

 

右:藍地牡丹文様錦袴 桃山時代、福岡・福岡市美術館蔵(黒田資料)
左:赤地雲龍文様錦袴 桃山時代、福岡・福岡市美術館蔵(黒田資料)

黒田家はじめ九州ゆかりの品も多数展示

会場には、甲冑と刀剣以外にも絵巻物や肖像画、書状なども数多く、黒田家はじめ九州ゆかりの品も展示されています。

藍地牡丹文様錦袴」と「赤地雲龍文様錦袴」は、ともに福岡藩主黒田家に伝来した小袴。
「藍地牡丹文様錦袴」は、黒田長政所用と伝えられている小袴で、広がった裾の内側にちりめんの筒が付けられており、膝下で引き絞って着るようになっています。
どちらも色鮮やかで文様が美しく、「藍地牡丹文様錦袴」の正面中央に付けられた萌黄地金欄のくるみボタン、裾の上部の波型のデザイン、「赤地雲龍文様錦袴」のシルエットや作りなどから、西洋の影響が伺えます。
黒田長政の、当時のお洒落な姿が思い浮かぶようです。


本展では、桃山時代(17世紀初頭)までの甲冑と刀剣の進化をご覧いただけます。
1600年の関ヶ原の戦い後、国内での合戦はほぼなくなり、14年後の大阪の陣(1614~15)、天草・島原の乱(1637~38)を最後に幕末まで国内から合戦が姿を消しました。
それまで実戦のための進化を遂げた甲冑と刀剣は、この時期を境に、見栄えや威厳を誇示する目的で変化していきます。

歴史的な背景を念頭にご覧いただくと、その進化の意味合いをより深く理解していただけることでしょう。
 

*料金、時間、休館日等は、変更の場合があります。必ず確認の上、お出かけください。
*複写・転写を禁じます。

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