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九州国立博物館 特別展

東山魁夷 自然と人、そして町

【開催期間】 2016年7月16日(土)~8月28日(日)
       *前期=7月16日(土)~8月7日(日)、後期=8月9日(火)~28日(日) *大規模な展示替えあり。
【休館日】  月曜日 *ただし7月18日(月・祝)、8月15日(月)は開館、7月19日(火)は休館
【開館時間】 9:30~17:00  *入館は16:30まで
【観覧料】  一般1,600円(1,400円)、高大生1,000円(800円)、小中生600円(400円)
       *( )内は前売りおよび団体(有料の方が20名以上の場合)、満65歳以上の方、キャンパスメンバーズの方の料金
        (生年月日がわかるもの(健康保険証・運転免許証等)・学生証・教職員証等要提示)
       *障害者手帳等ご持参の方とその介護者1名は無料
       *上記料金で4階「文化交流展(平常展)」もご覧いただけます。
 問合せ先:NTTハローダイヤル TEL 050-5542-8600(8時~22時)
 詳細は・・九州国立博物館Webサイト
 ご参考・・唐招提寺長野県信濃美術館 東山魁夷館

東山魁夷展

日本画の巨匠 大回顧展

戦後の日本画、なかでも風景画に新境地を開いた東山魁夷(ひがしやまかいい、1908~1999年)。彼は徹底した自然観察をもとに、内面的深さを感じさせる静謐な風景を生涯描き続けました。

本展では、画家の代表作である《道》(1950年)や《緑響く》(1982年)に加え、ヨーロッパや京都の古都の面影を描いた風景画など、初期の作品から絶筆といわれる《夕星》(1999年)まで84件にのぼる名品の数々を通して、「国民画家」と呼ばれた東山魁夷の画業の全貌をたどります。
(出点数全84件、通期41件、前期のみ22件、後期のみ21件)

東山魁夷《残照》

《残照》 昭和22年(1947) 東京国立近代美術館所蔵

「風景開眼」へ- 熊本での体験

魁夷は第二次世界大戦の終戦直前に召集され、熊本の部隊に配属。連日、爆弾を抱えて敵戦車に体当たりする訓練を受けていました。
死を覚悟したある日、魁夷は熊本城の天守閣跡から見た肥後平野、背後に広がる阿蘇の美しさに初めての感動を覚えました。
“もし、もう一度絵筆を取ることがあれば、今の気持ちのまま、この感動を描こう”と誓った地が熊本なのです。
終戦後、その思いが形となった作品が、千葉県鹿野山山頂からの夕景を描いた《残照》。微妙な色合いの折り重なる山々は遠くなるほど夕日に照らされ、ピンク色をした峰へ続き、透明感のある広がりを見せています。山頂で、人生で初めて自然と一体になった実感を得た魁夷の「風景開眼」の瞬間でした。
この作品は、政府買い上げとなり、戦後の東山芸術の新たな出発点となりました。

濤声

《濤声》 昭和50年(1975) 唐招提寺所蔵

九州初公開!
唐招提寺御影堂障壁画

奈良にある唐招提寺は、苦難の末に失明しながらも来日した鑑真和上を開基とする寺院で、御影堂(重要文化財)には鑑真和上坐像(国宝)が奉安されています。
魁夷は、御影堂の障壁画(5部屋にわたる襖絵68面と床の間の絵)の制作を依頼され、総延長76メートルに及ぶ大作を二期に分けて完成させました。
1975年完成の第一期では、残念ながら鑑真和上が見ることができなかった日本の海と山の風景に、鑑真和上の徳の高さを山に、精神の深さを海に重ね合わせて描きました。まるで波の音、風の音が聞こえてくるような動きのある素晴らしい作品です。
全長76メートルのすべての障壁画が揃うのは九州初! この機会をお見逃しなく。

東山魁夷展

《揚州薫風》 昭和55年(1980) 唐招提寺所蔵

現地でも なかなか見られない襖絵

1980年完成の第二期では、鑑真が生まれ育った中国・揚州の山水を水墨技法で描きました。

《濤声》が描かれた「宸殿の間」の奥の間に当たる「松の間」の中央には、鑑真和上坐像を収めたお厨子が安置されており、鑑真和上が故郷の風景(湖面を渡るやわらかな風にそよぐ柳・・・)に囲まれて座っておられることをイメージして《揚州薫風》が描かれています。

魁夷はこの時まで水墨画を発表したことがほとんどありませんでした。
御影堂障壁画は、毎年6月6日の開山忌を中心とした数日間のみ公開されてきましたが、その際に現地に赴いても、内側の襖絵を見ることはできないため、今展覧会は、魁夷が挑戦した水墨画を間近でご覧いただける貴重な機会となっています。

上段の間

《山雲》 昭和50年(1975) 唐招提寺所蔵

御影堂内部を ほぼそのまま再現

今展覧会では、会場出口の場所の関係で、床の間のある「上段の間」の位置をずらして展示されていますが、それ以外は御影堂内部をほぼそのまま再現し、障壁画を展示しています。

床の間には、霧の充満した日本の美しい山の風景が描かれ、天袋には、一羽のホトトギスが空を舞っています。

5つの部屋の構成は、巧みに統一されており、魁夷の鑑真和上に対する崇敬の念が見事に表現されています。
「青の画家」とも呼ばれる東山魁夷の色彩と水墨による絵画世界を、存分にお楽しみください。

東山魁夷《映象》

《映象》 昭和37年(1962) 東京国立近代美術館所蔵

北欧の風景

魁夷は1962(昭和37)年に、夫妻でデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドを旅しました。
ある朝早く、入り江の水がまるで鏡のように、森や鳥の姿をくっきりと映しているのを見ました。《映象》は、その幻想的な景色を帰国後に描いた作品。
湖面に背景の風景が投影した上下相称の構図が用いられ、水平性や垂直性が強調されています。

東山魁夷《年暮る》

写真左:《年暮る》 昭和43年(1968) 山種美術館所蔵
写真右:《春雪》 昭和48年(1973) 千葉県立美術館所蔵

川端康成から依頼され 生まれた「京洛四季」

親交が深かった川端康成から、経済発展に伴って変わりゆく京都の町の姿を描きとどめてほしいと言われ生まれた「京洛四季」シリーズ。

北欧に比べると湿度を多く含んだ、京都の一年間の風景が描かれています。
《年暮る》は、魁夷が宿泊した京都ホテルから見下ろした鴨川沿いの家並みを描いています。現在、この辺りではこのような家並みは見ることができなくなりました。

東山魁夷《東京十二景》

《東京十二景》 昭和34年(1959)頃 三番町 小川美術館所蔵

東京十二景

「東京」をテーマにした12点の連作。
前年に完成した東京タワーや迎賓館、丸の内三菱ビル東九号館などの、近代洋風建築を描いています。移り変わりゆく東京の風景を描き遺そうとしました。
習作ではありますが、12点全て揃っての展示は初めてのことです。

映画監督の小津安二郎氏が本画を所蔵しており、自身が監督を務めた映画「東京物語」(1953年公開)の一場面で使用されました。

東山魁夷《窓》

《窓》 昭和46年(1971) 長野県信濃美術館 東山魁夷館所蔵

ヨーロッパの町並み

魁夷は1969(昭和44)年に、夫妻でドイツ・オーストリアの古都を旅しています。この旅をもとにした作品では、たくさんの中世の町並みや建物を描いています。
《窓》という作品は、窓の上に刻まれた数字から1537年に建てられた建物が描かれています。
少しだけ開け放たれたカーテンの奥から、人の生活の息遣いが感じられます。
絵に近づいて、ベンチの上辺りをよくご覧いただくと、日本画としては珍しい厚塗りをして石の質感を表現していることが分かります。

東山魁夷《緑響く》

《緑響く》 昭和57年(1982) 長野県信濃美術館 東山魁夷館所蔵

白い馬の見える風景

魁夷が描いた〈白い馬の見える風景〉のシリーズは、唐招提寺御影堂障壁画の制作に取り掛かる前年、1972(昭和47)年に描かれています。
作品の構想を考えていた際、モールァルトの旋律とともに、白い馬の風景が次々と浮かび、完成したそうです。
それらの絵の中で、《緑響く》のみ1982(昭和57)年に制作されている理由は、1972(昭和47)年に描いた作品が所在不明になったことを魁夷が残念に思い、後年になって再制作したためです。
吉永小百合さんが出演したシャープ・AQUOSのCMで使用されたこの作品をご存知の方も多いことでしょう。

東山魁夷《行く秋》

写真左:《白い朝》 昭和55年(1980) 東京国立近代美術館所蔵
写真右:《行く秋》 平成2年(1990) 長野県信濃美術館 東山魁夷館所蔵

止まらない歩み

《白い朝》は、雪の積もる自宅の庭の木に止まり羽を休める一羽のキジバトを描いた作品。「何かを祈り、思い沈んでいるよう」に羽を膨らませて寒さに耐えるキジバトの後姿に、唐招提寺御影堂障壁画の大仕事を終えた魁夷が、これからどのような風景を描いていこうかと思い巡らす気持ちが投影されているのではないでしょうか。

東山魁夷《行く秋》

《行く秋》 平成2年(1990) 長野県信濃美術館 東山魁夷館所蔵

さらに増す 鮮やかな色彩

《行く秋》は、ドイツ北部でのスケッチに基づいた作品。
角度を変えて見ると、金箔を散らしてあることが分かります。
魁夷いわく「楓の黄葉が地上に織り上げた金色のタペストリー」。

第二期唐招提寺御影堂障壁画制作で水墨画技法を習得した魁夷は、その後の作品に以前にもまして明るい色の絵の具や金箔及びプラチナの砂子を積極的に用いるようになりました。

東山魁夷《夕星》

《夕星》 平成11年(1999) 長野県信濃美術館 東山魁夷館所蔵

夢で見た風景~絶筆~

絶筆《夕星》は、東山自身がある晩に見た夢の風景を描いた作品。「もう旅に出ることは無理な我が身には、ここが最後の憩いの場になるのでは」との想いを胸に描きました。
この絵は最初はパリの公園の風景だったものが、次第に構図も変わり信州の風景を思わせるものになったようです。
正面に立つ4本の木は、戦後すぐに亡くなった父と母、兄、弟を表しているのではないかと言われています。木々は水面に投影されていますが、星だけは夕空に一つ輝いています。
生前に買い求めていた長野の墓地からの風景に似ているそうです。
魁夷は、いったん落款を入れ完成させたものの、それを塗り潰して改めて筆を入れ直し、再び落款を入れることはありませんでした。

*料金、時間、休館日等は、変更の場合があります。必ず確認の上、お出かけください。
*複写・転写を禁じます。

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